法的地位の変遷・朝鮮半島への帰還


第二次世界大戦終戦後の日本社会における在日朝鮮人(旧日本国朝鮮籍)の法的地位の移り変わりと、朝鮮半島への帰還についてまとめてみました。

法的地位の変遷朝鮮半島への帰還
194511/1 連合国最高指令官総指令部「日本占領及び管理のための連合国最高指令官に対する降伏後における初期の基本指令」
→「軍事上安全が許す限り、台湾人及び朝鮮人は解放人民として処遇すべきであるが、日本国民であるから必要な場合には敵国民として処遇する。」
※日本敗戦時点で200万人~210万人の朝鮮人が内地居住と推定。

9/11 朝鮮人の軍人・軍属と「集団的移入労務者」の輸送に関する指示。12月まで日本政府・GHQの計画に基づく優先輸送。

10月初旬頃より、祖国帰還をめざすおびただしい数の朝鮮人が下関・仙崎・博多へ。下関には20万人。
194611/20 「朝鮮人の地位及び取り扱いに関する総司令部渉外局発表」
→引き上げを拒絶してこの国に留まることを選んだ朝鮮人」は日本の法律および規制に服し、治外法権を認めない

※日本政府は、旧植民地出身者を「法形式上講和まで日本国民」とする一方で、「戸籍法の適用を受けざる者」として、戦前に「内地戸籍」をもたなかった旧植民地出身者の参政権を停止。
※4月より占領軍より日本政府に言い渡された計画送還(~12月)の実施。ただし3月の時点で既に140万人の在日朝鮮人が帰還。帰還に際して持出制限があり、計画送還による帰還者は約8万3千人にしかならず、約55万人が帰還せずに日本にとどまることとなった。

持出制限:所持金1000円、携行動産は約113キログラムまで。ちなみに、当時、5人家族の1か月の標準生計費は500円。

※占領軍は、一度本国へ帰還した朝鮮人の日本への再渡航を固く禁じた。しかし解放直後からの朝鮮半島の混乱ゆえ、1965年の日韓条約まで密航という形での逆流は絶えなかった。

※朝鮮語も知らずに帰還し、朝鮮での暮らしに馴染めなずに逆流してきたという在日2世たちの証言もある。
19475月 外国人登録令。新憲法施行直前の最後の勅令による。

※この時点では「日本国民」と見なされていた在日朝鮮人を、退去強制を含む「外国人管理」の下に置いた。つまり、「日本国民」として日本の司法の統制下に置きながらも、「選挙権」を停止し、実態としては「外国人」として管理するという、日本政府にとっては都合の良い、ねじれた位置に在日朝鮮人は置かれた。また外国人登録には、出身地の意味で(国籍という意味ではない)「朝鮮」という語句が記載された。
19498/10 出入国管理に関する政令(昭和24年政令第299号)公布・施行
→入国管理部の設置、出入国記録の整備、入国監理官の配置、連絡調整
19519/8 サンフランシスコ講和条約締結

10/4 出入国管理令(昭和26年政令第319号)公布(11/1施行)
→18種類の在留資格を規定、3年毎更新の「特別在留許可」制度
19524/19 「平和条約の発効に伴う朝鮮人、台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」(昭和27年4月19日付法務府民事局長通達」
→平和条約発効により、旧植民地出身者は内地の戸籍に組み入れられたものは日本国籍、旧内地出身者で朝鮮籍に組みい入れられたものは朝鮮籍に自動的に区分けされた。いずれにしろ、本人の意思による国籍選択はみとめられなかった。(注)

4/28 外国人登録法(昭和27年法律第125号)公布
→指紋押捺制度導入。外国人登録証常時携帯を義務付ける。

4/28 「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律」(昭和27年法律第126号)公布・施行
→降伏前から引き続き在留する、講和条約国籍離脱者(法126-2-6該当者)は、在留資格・在留期間を定めるまで、在留資格を有しなくても在留を認める。
196512/17 「日韓法的地位協定実施に伴う出入国管理法特別法」(昭和40年法律第146号)公布(1966.1.17施行)
→韓国籍の「法126-2-6該当者」とその子孫に永住資格(協定永住)を許可
19828/10 外国人登録法改正法(昭和57年法律第75号)公布(10.1 施行)
→確認申請期間を3年から5年に、指紋押捺、外国人登録証携行義務年齢を14歳から16歳に引き上げ
19851/1 国籍法及び戸籍法一部改正法(昭和59年法律第45号)施行
→出生による国籍取得につき父母両系血統主義採用、国籍取得・国籍選択制度の創設、外国人との婚姻による新戸籍編製、外国人配偶者の称する氏への氏変更制度等の創設
19864月 国民健康保険法施行規則改正(昭和61年厚生省令第6号)
→国民健康保険法の国籍要件廃止
19879/26 外国人登録法改正法(昭和62年法律第102号)公布(1988.6.1施行)
→指紋押捺は1回限り、指紋カード制導入、指紋再押捺命令権新設
19915/10 日本国との平和条約に基づき国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法(平成3年法律第71号)公布(11.1施行)
→「特別永住資格」を新設、退去強制事由を重大犯罪に限定、再入国有効期間を最高5年とする。
19926/1 外国人登録法改正法(平成4年法律第66号)公布(1993.1.8施行)
→永住外国人を指紋押捺制度から除外、家族登録制度導入
19998/18 外国人登録法改正法(平成11年法律第134号)公布(00.4.1施行)
→外国人に対する指紋押捺制度全廃

(注)この通達について、東京大学名誉教授大沼保昭は、要約すると、以下のような見解を述べる。

  • 日本政府が行政府の通達でもって在日朝鮮人が日本国籍を喪失したとするのは、法手続上許されることではなかった。第一に、日本国憲法は第10条において、国籍は法律で定めなければいけないと規定している。第二に、サンフランシスコ講和条約は朝鮮の日本からの独立は承認したが、北朝鮮と韓国がどういう範囲の人びとを自国民とするかについては定めていない。それは北朝鮮なり韓国なりの国内法で定めることである。
  • 韓国は日本と同様、戸籍をもって自国民の範囲を決定、北朝鮮は血統的な意味での「民族」を自国民の基準とした。いずれにせよ、韓国も北朝鮮も在日朝鮮人が日本の臣民とされた時点においては存在しなかった国家である。
  • つまり、在日朝鮮人を日本法上不利益な地位に置くことになった国籍「喪失」措置は、一片の民事局通達により、「韓国、北朝鮮の国籍法とも、みずからの(在日朝鮮人自身の)意思とも全く無関係に実施された」。
  • ちなみに1952年当時、在日朝鮮人として日本で登録されていた56万人のうち、韓国籍保持者は17パーセントにすぎなかった。
  • 「朝鮮籍」とは、朝鮮半島出身を示す記号にすぎない。1947年に施行された外国人登録令において、在日朝鮮人は「日本国籍」を持ちながらも、国籍等の欄に出身地である「朝鮮」という記載がなされた。この状態は日本国籍喪失後も継続。記号としての朝鮮籍から韓国籍への書き換えは韓国政府が発行する国籍証明書に基づくものであり、重ねて言うが、在日朝鮮人が日本国籍を失った時点で自然に韓国籍なり、北朝鮮籍なりを取得するということではない。
  • 不利益についてたとえば、講和条約発効後、戦傷病者や戦没遺族へのさまざまな援護立法がなされたが、日本国民として「日本軍」に徴兵されて戦い傷ついた朝鮮人については、日本国籍喪失を理由に、その適用から除外、もしくは帰化を迫ることとなった。
  • なにより、ほとんどの社会福祉制度において「国籍条項」によって適用外とされた。